ASD特性のある夫と二人暮らし、アラ還主婦のmalamaです。→ 詳しい自己紹介はこちら
きゅうり一本で、夫は立ち止まった
最近はどこのスーパーもセルフレジゾーンが増えてきました。
先日、夫と買い物に出かけた際のこと。有人レジが混んでいたので、カートを押していた夫に私がセルフレジに行こうと言うと。

だって、きゅうりがあるよ、これどうするのかわからないじゃない

大丈夫だよ、なんとかなるよ
この日はバーコードが付いていない、ばら売りのきゅうりを購入していたのです。
いつものこんなやり取りも面倒だなあ、と内心思いつつ、この日は有人レジで会計を済ませました。
これからセルフレジは、もっと当たり前になっていく。
だから、できるうちに挑戦しておこうよ、と私は考えるのです。
夫を見ていると、その根っこにはいつも「失敗したらどうしよう」があるように思うのです。
セルフレジだけではありません。
新しいことに出会うたび、その不安が夫を立ち止まらせる気がしてなりません。
「大丈夫だよ」と、私はいつも言っている
そこまで考えて、ふと気がつきました。
私、夫といるときいつも同じことを言っている。

私、夫といるといつも「大丈夫だよ」って言ってる気がする

その言葉だけだと、手順を教えてはいないんですよね。「きっとうまくいくよ」という結果の話ですから

でも隣に誰かがいることとセットになると、意味が変わります。失敗しても取り返してくれる人がそこにいる。先が読めない場面が、読める場面に変わるんです

あ。効いてたのは言葉じゃなくて、私がそこにいることか
成人のASD当事者を対象にした質的研究では、「不確実さへの耐えにくさ」が不安と強く結びついていることが繰り返し報告されています。先が読めないこと、そのものがしんどいという見方です。
そう考えると、「大丈夫だよ」が効く理由もはっきりします。この言葉は手順を教えてはいません。でもそばにいる人とセットになると、「失敗しても取り返せる」という見通しに変わる。不確実さが減るから動ける、のかもしれません。
ちなみに、もっと直接きくのは具体的な手順のほうです。「バーコードのない商品、ってボタンを押して、そこから野菜を選ぶんだよ」。これなら、知りたかったことがそのまま埋まります。
これはASD夫に出張帰りの一杯はない。私のシナリオ作戦に書いた「先に見通しを渡しておくと動きやすくなる」と同じ考え方です。支援の場面でもよく使われます。
⚠️もちろん個人差がとても大きいので、「ASDだからセルフレジが苦手」ということではありません。ただ、励ましが届くときは、言葉だけでなく「そこにいる人」ごと届いているのかもしれない、という見方はできそうです。
とはいえ、です。
リタイヤしたら、私と一緒に過ごす時間も今より多くなるし、夫が苦手とする場面に遭遇することも増えるだろうな、と思います。

大丈夫だよ、やってみよ
きっと私はこの先も、夫にこう言うんだろうな。
そして、そばで見ていることになるんだろうな。
きゅうり一本のことだったのに、なんだか先が思いやられる気持ちになりました。
そしてこの日も、夫は何も困らないまま、有人レジを通過したのでした。
また綴っていきますmalama


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