旅行と野球が共通の趣味の、還暦間近50代夫婦です。ASD特性のある夫と二人暮らし、アラ還主婦のmalamaです。→詳しい自己紹介はこちら
集合は15時半。でも呼ばれたのは15分すぎ
大汗をかきながらプリゲームツアーの集合場所15時半にギリギリ到着した私たち。
ワラワラとスタッフは集まってるけど、ラフに話し込んでいて一向に呼ばれる雰囲気はありません。
時間厳守したい夫はギリギリ辿り着いたことで放心状態。
ほれ、見ろ。そんなに急がなくても大丈夫だったわ、と冷静な目で見る私。
※ここに辿り着くまでの山登りは、前回に書いています。
→ メジャーリーグ観戦旅⑮ ドジャースタジアムのゲートで山登り
集合場所には何組かの日本語のカップルやグループ。
みなさん、落ち着かない様子でうろうろ。
「待っていればいいのかしら」と互いに声を掛け合って
異国の地で、間違ってないよね?の儀式。
こんな時、日本語を交わせるのはホッとするものです。
呼ばれたのは15分も過ぎた頃、チケットチェックした際に手渡された色のついたアームリングで呼ばれます。
レッド!ホワイト!と順番に先導するスタッフに導かれスタジアムの中へ。
階段を登った先に、雲ひとつない青空
始まったプリゲームツアー
ガシガシと階段を登っていき外野のパビリオン席に到着。
目の前に緑のグラウンドと雲ひとつない青空が広がりました!
何度も見てきた青空。なのにどうしてこんなに新鮮に心に響くんだろう。
私はLA滞在中、何度も何度もこの青空を見上げました。

ツアーはどんどん進んでいきます。
解説が理解できれば、もっと楽しめたのだろうなと思いつつ、日本語ガイドのツアーとは日程が合わなかったので仕方なし。

それでも順路では次から次へとドジャースの栄光と軌跡を辿ることができます。
雰囲気や目に入ってくる光景、あちこちから聞こえる明るい多言語からでも十分に楽しめた。


昔のものは球団名の入った旗と王冠つき。デザインが違うんですね。
ジャッキー・ロビンソンを、初めて知った
中でもメジャー全球団で今も永久欠番になっている
ジャッキーロビンソン選手は、肖像画を初めて見てその存在を知りました。

彼は初めて黒人でメジャーリーグの一員になった選手。当時はとても苦労したそうです。
日本に住んでいるとあまりピンとこない人種差別の問題。
今では当たり前になっていることも、ロビンソン選手がその風穴を開けてくれたのですね。
球場正面には彼がホームに滑り込む銅像があるとのこと。
翌日の試合前、実際に足を運んでみることができました。

全球団で永久欠番って、そんなにすごい選手だったの?

背番号42は、MLBの歴史で全球団の永久欠番になった唯一の番号なんです

唯一…!?
ロビンソン選手がブルックリン・ドジャースでデビューしたのは1947年4月15日。その日から数えてちょうど50年後の1997年4月15日、背番号42はメジャーリーグ全球団で永久欠番と定められました。特定の球団ではなく、リーグ全体で番号が引退した例は、これひとつだけです。
さらに毎年4月15日は「ジャッキー・ロビンソン・デー」。この日は出場する全選手が背番号42をつけて試合に出ます。ひとりの選手の番号を、その日だけ全員で背負う日です。
ちなみに彼はいきなりメジャーに上がったわけではありません。前年の1946年、ドジャース傘下のマイナー「モントリオール・ロイヤルズ」で1年プレーし、そこでも人種の壁を破りました。1949年にはナショナルリーグのMVP。「苦労した人」であると同時に、リーグで一番の選手でもあったんですね。

前の日まで、私はこの人を知らなかった。
途中では選手が間近に見えるフィールドレベルでしばらく着席して、練習を眺めることもできました。
そしてエスカレーターをあがりトップデッキへ。
ここはスタジアムで一番高い位置にあり、球場全体を見渡せます。

「私、ドジャースタジアムに来たよ!」
叫びたい気持ちでした。

ツアー中は先頭に案内スタッフ 後方に列が遅くならないよう急かすスタッフに囲まれて進みましたが、気がつくとどこかで解散している雰囲気。
ここでも目が合った日本人同士で「これで終わりかな?解散で良いのかしら」と確認しあい
それぞれのお目当ての場所に去っていきました。
解説がわからなかっただけかもしれませんが、これもアメリカっぽい。
そして、ドジャースタジアムの観客の1人になった!
1人3万円は、高かったのか
プリゲームツアーは躊躇した参加費でしたが、開場前に入場し観客が入っていないスタジアムを眺められ、練習している選手の姿も見れます。ドジャースの歴史に触れ、VIPルームの廊下も歩きました。
満足!とその日は思ったけれど、その後ドジャース価格に度肝を抜かれ感覚も麻痺してきました。
また綴っていきますmalama

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